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COLUMN#18 - ありふれた、どこにもない場。時間をたわませる種と蘇り。

  • 執筆者の写真: HugFor
    HugFor
  • 7月7日
  • 読了時間: 4分



二人は信じる


求める気持ちが出会わせたのだと


信じ合う心は美しい


でも 揺れ動く心は もっと美しい      (ヴィスワヴァ・シンボルスカ「恋」より)





私が大好きな絵本『君のいる場所』。


人と人、季節の巡りや、停止と再開。


そんなことを考えたいときに手にしています。


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物語は、いつも左に向かう彼女と、いつも右に向かって歩く彼。


どこまでも、いつまでも出会うことがない男女のストーリーです。


二人は、それぞれ深い孤独を抱え生きていくなかで偶然なのか歪みなのか出会い、別れ、再び希望を見つけていく。


夢と現実の狭間を漂うような幻想的なビジュアルと詩的な言葉で、喪失・再生・つながりの美しさを静かに描いています。


出会いと別れ、悲しみと悦び、友情、恋、家族、人生など、さまざまな解釈ができる大人向けの絵本です。




今日はふと、この本の最初のページに添えられていた、ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩の一節が、心にふれました。


この言葉にふれたとき、日常の出会いや、さまざまな不思議なつながり、再会の奇跡の数々が、次々と浮かんできました。



信じて求める想いが誰かを引き寄せることもあるけれど、どこか不確かで、名前のつかない揺らぎの中にこそ宿る美しさに、特にギャラリーという場を通して何度も立ち会ってきたように思います。


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鎌倉でHUG FOR_. をひらいてからというもの、そんな人と人との出会いや再会が、まるで導かれるように目まぐるしくも静かに起こるようになりました。


それは偶然のようでいて、どこか必然のような「偶然と必然のあわい」。


今日はそれらから感じたことについて、少しだけ綴りましたので、よろしければお読みください。


HUG FOR_. という場では、人と人の出会いや再会の出来事が、まるで息をするように自然に繰り返し訪れます。


例えば、何年も会っていなかった人が、偶然同じ時間に来場し、思いがけず再会を果たしたり


あるいは、まったく別の土地で出会った二人が、ここで再び出会ったり


出会いたいと願っていた人が、ふらりと突然に扉を開けたり。


ここに集う人々の営みが、自然とまた誰かを呼び寄せているかのように日々感じています。



初めて会ったはずのアーティストに、以前にもどこかで言葉を交わしたような懐かしさを感じることもありました。


その瞬間に、時間は過去と現在のあいだを緩やかにたわみ、二人の間には、旧友のような穏やかな空気が流れます。


それらはきっと偶然のようでいて、どこかであらかじめ結ばれていた糸が、ふと手繰り寄せられたような、そんな感覚です。


そうして誰かの言葉、誰かの想い、あるいは、たったひとつの作品や機会が媒介となって、人と人が出会うその瞬間に立ち会うと、偶然と必然の境界線が、静かに溶けていくのを感じます。


言葉を交わさずとも、その場を共有するだけで、何かが芽生えるようなことがあるのだと思います。


再会には、時間の重なりと記憶の温度があり、それがこの空間をどこか温かく、ふくよかにし、それはギャラリーという「ひらかれながらもどこか閉じている」希有な場の特性なのかもしれません。


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「稀有な場」と書いたあとで、少し時間をおいて考えました。


そもそも今、あらゆることが多様化し、何かを“見せる”場さえあれば、どこでも「ギャラリー」と呼ばれ得る時代です。誰もが自宅、インターネット上、カフェやショップの一角でも「ギャラリー」をひらくことができます。



その中で、曲がりなりにもギャラリーを営む私がひとつ思うのは、作品の美しさを最大限にお見せし、価値を丁寧に伝えることは大前提として、その場所で何かが生まれてこそ、稀有なのではないかということでした。


例えば、人と人が、何かを思い出すように出会い、見えない手に導かれるように再会する。そんな言葉にはならない“できごと”を、静かに作品の手ざわりと共に受けとめられる場所。


それは、目に見えるもの以上の豊かさを称えた場の価値。


どこにでもあるけど、どこにもない、ありふれているけど、ここにしかないこの場で明日もまた、静かに皆さまをお迎えできたら嬉しいです。


素敵な出会いと再会を。


佳き七夕の日にて。



当コラムは月に1-2回程度、ギャラリーに関連する活動を軸に執筆しています。お気楽にお読みいただけますと幸いです。

文、写真:HUG FOR_. Eriko.O


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