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COLUMN#22 / Diopter — 写真機を通して歩く、マイナス度数の世界といくつかのパラドックス。

  • 執筆者の写真: HugFor
    HugFor
  • 3 日前
  • 読了時間: 9分

更新日:2 日前





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コラム#22は、プライベートでやってみたいことができたので、その話しを自身のなかで整理するためにもコラムに綴りました。

普段はコンタクトや眼鏡で矯正しクリアに保っている世界を、カメラの機能を用いてあえて裸眼というマイナス度数の世界に戻す。「個人的な痛み」が、感情や言葉ではなく、普遍的な問いへと昇華させることができるか実験的な趣味の話しです。





「ひとつの感覚、痛みは共有できるのか」という根源的な問いへの探求。


・個人的痛みは、他者にどのように知覚され得るのか。 

・記録行為は経験の希薄化を伴う一方で、社会的・認知的装置として機能し得るのか。またそれはどのように。

・他者との距離、視覚的曖昧性、共有不可能性は、身体化された知覚と社会構造の間でどのように立ち上がるのか。


これらの疑問に対する方法に特別な制約は設けていない。


私にとっての「個人的な痛み」とは、常に社会的な構造、ジェンダー、ケアの不在、他者との感覚のズレといった構造的暴力や共感から切り離され、個の内側に押し戻されてきたもの。そこには痛みが社会化されることへの恐れと、人間への期待と不信、責任、義務、正しさ、秩序に対する強迫観念が一気にこの体の中に押し寄せ閉じ込められることへの息苦しさが伴う。つまり外部に源を持つ痛みが、内部に閉じ込められるという、パラドックスが発想の出発点にあった。



抱えるパラドックス


パラドックスは複数、累積的に作用している。


・外部から与えられた痛みが、なぜか内部に閉じ込められてしまう逆説。

・誰にも触れられたくないのに、どこかで誰かに届いてほしいと願う逆説。

・美は“いまここ”に存在するのに、装置を通して別の美へ変換したくなる逆説。

・写真そのものに懐疑を抱きながら、写真でしか伝えられないものがあるという逆説。

・可視化が透明化を招き、記録が忘却の一形式となるという逆説。


これらの矛盾は散らばった断片ではなく、ひとつの問いに収れんする。



—— 痛みは共有できるかどうか、答えを求めているのではなく、むしろパラドックスそのものが私の認知構造で、他者との接触面であり、世界を測るための座標系だといっても良いかもしれない。



解放への裸眼装置


私の視力は0.04〜0.05ほど。普段はコンタクトやメガネに頼り、世界をクリアに保っている。


しかし時折、意図的に裸眼で街を歩く。矯正された視界を外すとき、世界は輪郭を解体し、境界を溶かし、他者の表情を曖昧な影に変えることができるからだ。


でもそんな風に私が裸眼で街を歩くのは、決まって心の傷が疼くときだ。


この視覚的曖昧性は、私の内側の揺らぎ、つまり痛みの輪郭と共鳴している。例えば涙でも視界をぼかすことはできるが、涙は途端に他者の意識をこちらに向かせてしまう。その視線や意識に対応ふるこのはあまりにも煩わしいから、人前で泣くという行為はできるだけ避けてきた。


そうして自分の痛みを、誰にも気づかれないように、あるいは解放する手段としてマイナス度数の裸眼で歩くことを選択するようになった。涙で視界をぼかす行為が他者の意識をこちらに向けるのに対し、裸眼の世界とは、他者との間に自律的な距離を確保し、私を保護する認知モードとして機能する。この視覚的経験は、単なる障害ではなく、身体化された知覚の再配置として理解している。それは他者との接触を回避しつつ、社会的空間における自律性や心地よさを獲得するための戦略ともいえる。


人が感じる痛みや心的負荷は、社会学や心理学の視点から見ると、個人の内的な現象として符号化されがちで、構造的な暴力や社会的不平等、ジェンダー化された経験との連関が見過ごされてしまう。痛みの不可視性は、社会的に共有されにくい経験の特性として、個と社会との関係性の裂け目を露呈させているようにも思う。それがまた私たちに「誰ともわかりあうことができない」という悲壮的な固定観念を生み、逆説的にいえば「誰かとわかりあうことが救いになる」という単一的な思いこみを生んでいるのではないかと思う。


裸眼で街を歩く行為は、この不可視性と距離感の象徴的な再現であり、心理的空間と物理的空間の交錯を視覚的経験として表出させているということになる。そこで私はこの個人的な視覚的経験を他者に手渡すことが可能か否かを確かめるための最も適している手法が、写真という媒体であると考えた。


しかしながらこの選択は、もう一つやっかいな私自身の深い矛盾や葛藤と向き合うことにもなる。



写真との対峙


私はこれまで、写真という行為に時々懐疑を抱いてきた。スマホで誰もが写真を撮る時代になり、自分のアカウントで写真を投稿して楽しむ時代になってしまったことに生きずらさを感じる。


私は私の生の肉体も顔も手も足もとても好きだ。満足している。それで十分である。


無尽蔵に撮影し蓄積し共有し合う現代のこの状況は、経験そのものの外部化と感覚の希薄化を加速させるようにしか思えず寛容になれない。


なぜ人は、留めておきたい景色をそんなにも道具に託そうとするのか。記憶に留めるという、もっとも個人的で身体的な営みを選択せず、写真を増殖させる現代的欲望は、この先衰えることはないのだろうか。


写真は、目の前の美しさを「別の美」に変換する装置である。光はセンサーを通過し、編集され、再構築される。本来そこにある美しさを、わざわざ別の形式で手に入れ直すことの意味はどこにあるのだろう。ぼんやりとそんなことを時々考える。そんな私的な疑問も不甲斐なく、日々写真はSNSで、ウェブで、様々なところで、使い古され消費され、知らない間に波に飲み込まれ痩せ続けている。


この懐疑は、写真が持つ倫理的な冷たさ、すなわち、熱狂的な瞬間を切り取り、永続的に反復可能な表象へと変質させる装置的性格に向けられている。写真機は、美をその現前性から引き剥がし、時制を過去に固定する。私たちは、生きた体験を「記録」という名の道具に預け、その場で抱えた感情の重量を軽減しているようにしか考えることができずに、脱却できずにただただ今は苦しい。


しかし、この矛盾に満ちた媒体に私は手を伸ばさざるを得なかった。記憶でも言葉でもなく、写真という装置を通してしか、この「私しか見えない世界のかたち」を他者との共有を図る可能性が存在しないから。



マイナス度数の世界を可視化する


こんなパラドックスを抱えたまま、具体的にどのような方法で、痛みを感じている状況を可視化できるのか考えた。


まず、カメラで撮影した世界と、裸眼で体験する視界を一致させることから始める。


最も傷が疼く瞬間の感覚を、道具を介して追体験し、目の前の体験を媒介装置に託す。この矛盾的選択は、他者との距離、視覚的曖昧性、共有不可能性が、身体化された知覚と社会構造の間でどのように立ち上がるのかを検証するための、倫理的なジレンマの表出でもある。


撮影されたぼやけた風景は、単なる個人的視覚体験の写像ではない。それは、社会的痛みの不可視性、構造的暴力への無意識的な抵抗、そして写真を撮る行為への懐疑そのものを可視化し問い直す思考装置としても機能する。この営みは、現前する美の即時性と、装置を介して変換された美との関係性をも問い直すと考えている。写真は、一次的経験を二次的表象に変換し、現前性を媒介化する。美は目の前にある、それで十分であるはずなのに、装置を通してさらなる美を欲する心理の意味と理由を検討することも興味深く感じる。


無限に増殖し消費するイメージに対する批判的介入として、ぼやけた写真は、観者に「美の装置化」の過程を露呈させることになり得るだろうか。観者は、装置を通すことでしか現れない「別の美」を求める心理の淵源を探り、同時に、現実にそこにある美の存在を逆説的に再認識するのではないだろうか。


この実験の目的は、個人的痛みの直接的な共有ではなく、むしろ共有不可能性の経験化である。受け手は、ぼやけた風景を前に、既存の視覚的認知や「正しく見える」ことの規範性から切り離され、他者の痛みの輪郭と、自身の知覚の限界を同時に認識することを促される。


しかし、恐らく痛みはただの像、ぼやけた光の集積にしか見えないだろうと思う。


なぜならどこまでいっても、誰かは私の目にはなれないし、私の心はわからないと思うからだ。しかし、その曖昧で不可能な像の中に、私自身が刻まれていることは確かであり、それを何らかの形で表出することで、他者と自身の間にある距離、溝、ズレの確実性を確認することができるのではないだろうかと思う。


距離を縮める、溝を埋める、ズレを矯正することが目的ではなく、確認をしたい。


この見えない壁や境界線は、私の眼差しと世界の間に立ち、他者の視線から私を隠し、私をどんどん孤立させる。ここでの写真の役割は、その孤立感を他者にさらけ出し、差し出すという、ほとんど自身に対する裏切りにも似た行為の証言となる。


裸眼で歩く街は、すべてが水彩画のように滲み、街灯は湿った月のように膨らむ。


その景色は、私自身の魂の風景であり、誰にも触れることのできない聖域である。私はこの聖域を、黒くて冷たい塊を手にしてありのままに切り取る。それは、痛みという名の秘密を、言葉ではなく、光の欠如として手渡す手紙のような行為だ。


観る者、手紙を受け取った者は、この光の欠如、この溶けた輪郭の中に、かつて彼らが知っていたはずの世界の鮮明さを探し求め、そして、見つけることは到底できないだろう。


その見つけられなさの瞬間にこそ、私と他者の間にある、決して埋まらないがゆえに真実である距離が立ち上がると仮定している。

それが世界で

それが社会で

どんなに進化し発展し価値観が変われど、それが人本質なのだろう。


これから私はいつ疼くのかか分からない古いのか新しいのか、いつできたのか何のか分からない傷と、確かに実存する黒い塊と、そしてあらゆるパラドックスと共に、いつもの、あるいは知らない街を歩くことになる。




当コラムは月に1-2回程度、ギャラリーに関連する活動を軸に執筆しています。お気楽にお読みいただけますと幸いです。

文、写真:HUG FOR_. Eriko.O



Eriko OKUYAMA

HUG FOR_. オーナー


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大学卒業後、民間企業や外郭団体での勤務を経て、2016年からアート業界に転身。主に銀座、六本木、白金台、天王洲など都内の現代アートギャラリーにて展覧会の企画運営マネジメント、プロジェクトマネジメント、アーティストマネジメント、パブリックスペースのアートコーディネーションに従事。ライフワークとしては、芸術の社会的な役割を模索しながら障がいのあるアーティストの展示企画や実践研究に取り組んできました。鎌倉に移住後、地域交流や豊かな自然によって心身と暮らしが満たされていく実感と共に、改めて芸術の在り方そのものを再解釈し、自身とアーティストの自己実現へのチャレンジ、そして人々が真の幸福に向かう思考と体験を共有する場を創りたいという想いのもと、2022年12月にHUG FOR _ . を開業しました。

ギャラリーとして作品を販売し、運営を持続させていくことと、芸術が社会や人に対してどのように貢献し循環させることができるか、事業性と社会性の両輪の視点をもって活動をし続けています。ギャラリーやアートは、暮らしや私たちの内面にとても近い存在であると考えています。難しく考えずにお気軽に足をお運びください。​

・筑波大学大学院 博士前期課程 人間総合科学研究科芸術支援領域 修了

・修士論文「共生社会の実現に向けたアートを通した交流活動」筑波大学茗渓会賞 受賞

​・HUG FOR_. ホームページにて月に一度のコラムを連載


 
 
 

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