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Column#32 - いない人と過ごす時間。- 記憶と命の流れのなかで。-

  • 8月15日
  • 読了時間: 6分




8月15日(土)

朝から、なぜか心がざわついていた。

ギャラリーまでの道すがら、6月にタイを旅したときの、ほんのわずかなやり取りを思い出した。


そして、今日は8月15日、終戦の日なのだと気づいた。



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今年の6月、タイのチェンマイへ、アーティストの山本愛子さんと旅をしたときのこと。

カレン族の森を訪れた帰りの車のなか。


カレン族の暮らしや、そこで行われているプロジェクトについて、たくさんの情報や感覚が頭のなかを巡っていた。

私は、暑さと長い移動で体力も消耗し、疲れから体調も崩し、早く眠りたいとだけ思いながらぼうっと外の山道や田園風景を風に当たりながら眺めていた。


そんなとき、会話の前後の文脈はもう覚えていないのだが、現地のコーディネーターが、死についてほんの少し話をしはじめた。


タイでは、仏教の教えのなかで、死を「終わり」ではなく、生と死を繰り返す輪廻のなかの一つの通過点として捉える考え方があるという。


そのわずかな一節が、なぜか心に、頭に残った。


例えば、病気を抱えたまま幼くして亡くなった子どもは、今世では十分に生きることができなかったとしても、来世では病から解放され、健康な身体で生まれてくる。


そう信じて、その子の次の人生が幸せなものであるように祈るのだと聞いた。


「なぜ、この子が」という悲しみを抱えながらも、次は元気に生まれてきますように。次は幸せに生きられますように。

と、その子の「これから」を願うという。


もちろん、愛する人を失った悲しみがないわけではない。

けれど、悲しみのなかに留まり続けるのではなく、亡くなった人のこれからを思い、祈り、自分にできる善い行いを故人へ手向ける。



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帰国してから調べたことだが、そうした行為のひとつに「タンブン」と呼ばれる、徳を積む習慣があることを知った。

それは、悲しまないということでも、忘れるということでもない。


もう決して触れることのできない肉体に、命に、それでも幸せになってほしいと願い続ける。

その人の「次」を願う。


そんな死との向き合い方があるのだと知った。



以前、HUG FOR_.のコラムで、亡くなった人を想うことについて書いたことがある。


「人は二度死ぬ」という考え方。

一度目は肉体の死。二度目は、その人を覚えている人がいなくなったとき。

そのとき私は、亡き人を想い続けることは、単なる追憶ではなく、残された私たちがこれからを生きていくためのものでもあるのではないか、と考えていた。



人は、亡くなった瞬間にすべてが消えてしまうわけではない。

その人と過ごした時間や、交わした言葉、好きだったもの、残してくれたもの。

そうしたものは、残された人のなかに残り、その人の記憶とともに生き続けていく。



亡くなった人と向き合うこととして墓参りがあるが、なぜだかその帰り道は心がすっとする。


「すっとする」正体とは何か。


それは、お墓は、いない人を「いない」と確認する場所でもあると同時に「確かにいた」と感じられる場所でもある。記憶や言葉にならない感情が、静かに整理されるからかもしれなし。


そして掃除をして、水をかけて、花を供えて、手を合わせる。こういう小さな所作は、とても原始的だけれど、私たちの「心を整える儀式」でなのだと思う。


墓参りは、自分がのいる日常の場所から少しスケールが広がり、「自分のこと」から少し離れて、「時間」や「記憶」や「命」のほうへ視線が移る。その距離が、心に余白をつくってくれるのかもしれません。



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今日、タイで聞いた話を思い出しながら、色んなことを考えている。


タイでは、その人の「次」を願う。

私たちは、その人が生きた時間を記憶する。


向いている方向は少し違うけれど、どちらも、死をただの終わりにしないための、人の営み。

災害や事故、そして戦争によって、多くの命が失われているというニュースを目にすると、そのことを想う。



画面の向こうに映っている人たちには、その人の暮らしがあり、誰かとの約束があり、好きだったものがあり、帰る場所があったはずだ。


戦争によって、名前も知らない人たちの命が奪われていく。

災害によって、昨日まで当たり前だった暮らしが突然失われる。


私たちは、その悲しみのすべてを知ることはできないし、ましてや、そのすべてを引き受けることもできない。


それでも、亡くなった人のことを覚えていること。


その人が生きていた時間を想像すること。


その人にも、誰かに愛され、誰かを愛し、何気ない日常を過ごしていた時間があったことを思うこと。


同じ悲しみを繰り返さないために、思考を絶やさず、考え続けること。


それもまた、残された私たちにできる小さな祈りであり、使命なのかもしれない。


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災害で亡くなった方へ。

戦争によって命を奪われた方へ。


どうか、生きた時間が、数字や記録だけになりませんように。

それぞれの時代と土地で生まれ、誰かに愛されていたこと。

暮らしがあったこと。

その記憶が誰かのなかに残り、静かに受け継がれていきますように。

そして、失われた命を悼むことが、これからを生きる私たちのなかに、小さな祈りとして残っていきますように。


哀悼の意を込めて。




HUG FOR_.













当コラムは月に1-2回程度、ギャラリーに関連する活動を軸に執筆しています。お気楽にお読みいただけますと幸いです。

文、写真:HUG FOR_. Eriko.O



Eriko OKUYAMA


大学卒業後、民間企業や外郭団体での勤務を経て、2016年からアート業界に転身。主に銀座、六本木、白金台、天王洲など都内の現代アートギャラリーにて展覧会の企画運営マネジメント、プロジェクトマネジメント、アーティストマネジメント、パブリックスペースのアートコーディネーションに従事。ライフワークとしては、芸術の社会的な役割を模索しながら障がいのあるアーティストの展示企画や実践研究に取り組んできました。鎌倉に移住後、地域交流や豊かな自然によって心身と暮らしが満たされていく実感と共に、改めて芸術の在り方そのものを再解釈し、自身とアーティストの自己実現へのチャレンジ、そして人々が真の幸福に向かう思考と体験を共有する場を創りたいという想いのもと、2022年12月にHUG FOR _ . を開業しました。

ギャラリーとして作品を販売し、運営を持続させていくことと、芸術が社会や人に対してどのように貢献し循環させることができるか、事業性と社会性の両輪の視点をもって活動をし続けています。ギャラリーやアートは、暮らしや私たちの内面にとても近い存在であると考えています。難しく考えずにお気軽に足をお運びください。​



 
 
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