こんにちは。2025年になって初のコラムです。
つい先日、ある人との会話をきっかけに思い起こされた私がデンマークで過ごした日々。本日のコラムは、デンマークでの福祉に関係する体験についてシェアさせていただこうと思います。福祉に関わらず、アートや音楽、教育など、日常的に関わっていないと現場やその領域の課題、状況をイメージすることは難しいように思いますが、このコラムは一個人の体験エッセイとして淡々と書き綴ったものになります。駄文ではありますがお気軽にお読みいただけると幸いです。
デンマーク 旅のはじまり
私は大学生を2回、大学院生を1回、合計12年間大学に在籍していました。本コラムは、2校目の大学時代の経験のお話しです。
22歳で社会に唐突に放り出され、年月と労働を積み重ねるうちに、自然と自分を真っ向から「見つめる時間」が増え、自身の近視眼的な物の見方や捉え方に向き合うことになりました。世界を知らなすぎてエネルギーの使い道に当てがなかった20代前半の線の細い私は、しばらくエネルギーを内に溜め込んで殻に籠るようになりました。
それから数年して、自然と内に籠っていた気持ちと意識は外とつながり始め、内外を往来するようになり、社会人でありながらソーシャルエンゲージメントアートやソーシャルデザインを大学で学ぶようになりました。
アートやクリエイティビティが社会課題に対してどこまでピュアに、ステークホルダーの恣意性が抑えられた形で当事者のためにコミットできるか、実践を通して探求していました。
特に検討したことは、ハンディキャップのある社会的に弱い人たちの社会との接点と参加のアプローチ方法。
ゴールの見えない研究は骨が折れ、時間のかかる作業ばかりを繰り返していましたが、社会的弱者とされる障がい当事者の実態や日常、問題点をリサーチすればするほど「どこまでも分かり合えない人々の間に、どのようなコミュニケーションの場が有効なのか」という根本的な問いへの答えを見つけるどころか、仮説を立てることもできませんでした。この過程でも、自分の生活圏外で起きていることについて、見苦しいほどに無知であることを再び痛感し落胆しました。
仕事で貯めたお金の大半は、東日本大震災をはじめとする災害ボランティアや東南アジアの障がい孤児院ボランティアの現地滞在費用、東アジア、東南アジア、ヨーロッパへのバックパックの旅費につぎ込み、外の世界に飛び込みました。さまざまな土地や風土、人々の暮らしを見て感じ寄せた関心とは、意思とは関係なく社会や世界と分断され、自由な生活と知見を広げることができない人とできる人の分岐点と合流点に関するものでした。
「何かを探求し解決への手がかりを導き出すためには、問題を深く理解することが重要だ」
当時、外郭団体で世界の開発途上国の課題に直接的に取り組む同僚から刺激を受け、大学を休学。休学を機に一台のカメラを購入し、仕事も休んでデンマークへ渡りました。
行き先はかねてから友人から聞いていた、障がいのある学生と障がいのない学生が共に学び、暮らす「エグモントホイスコーレ」という全寮制の学校。
ここに何かヒントがあるような気がして向かいました。判断と行動は極めて衝動的ではありましたが、人生の血肉になる体験と記憶、そして色あせない記録が欲しかった自分の気持ちを優先したことに後悔はありません。
エグモントホイスコーレでの生活
エグモントホイスコーレは、首都コペンハーゲンから電車と車を4時間ほど乗り継いだ小さな村にあります。私はコペンハーゲンに数日滞在した後、一人エグモントに向かいました。
最寄り駅に迎えの車がなかなか到着せず、雪の降る夕方に、停車場で凍えて待っていたのを思い出します。
エグモントホイスコーレとは、19世紀後半のデンマークの牧師/詩人/思想家グルントヴィが提唱した理念を軸に、デンマークの民主主義普及に大きく貢献した18歳以上の人たちのための全寮制の学校です。エグモントでは、重度の障がいを持つ生徒が自分のヘルパーになる学生を面接した上で、芸術、福祉、政治、道徳倫理、スポーツの学び、寝食、遊びなど多くの時間を一緒に過ごします。ここで私は、障がいの有無、性別、年齢に関わらず、すべての学生が平等に扱われるという哲学が根付いている環境下で「共に生きる」というテーマの一端に触れ、尊く忘れられない時間を過ごすことになるのでした。

この学校で特に印象に残ったのは、生徒たちの日常生活がどれほど「フェア」であるかという点。
例えば、食事の時間は全員が当番制で配膳や片付けを行います。
筋ジストロフィーなどの遺伝性疾患やダウン症、自閉症などの発達障がい、人工呼吸器を付けた重度の障がいや、手足が不自由な四肢障がい、見た目からは分かりにくい内部障がいを持つ学生にも、他の学生と同様に役割が振り分けられます。ある生徒は、車椅子の足元に置いたデバイスを使い、足でボタンを押しながら意思を伝えながら布巾を手に持ち、テーブルをなぞる姿は、握力がないため完璧な清掃にはならなくても「仲間として当番を果たしている」という意思が伝わりました。周囲は障がいのある学生の、自分にできることを担う意思を当然のように尊重し、できない点は補完します。それは単なる分業ではなく、互いを尊重し認め合う関係性そのものでした。
そこには、何かを「してあげる」や「してもらう」、「依存」や「共依存」の関係ではなく、平等でごく自然な「協力」が存在していました。完璧や安全性を求めるのではなく、だれもが自立することを目的とし優先した教育方針に私は五感を通して共感しました。
それは授業の中でも一緒です。
芸術の授業では陶芸をし、道徳の授業では障がいのある生徒とない生徒が円形に座り、先生が掲げたテーマについて対話を交わしていました。立場や属性を超えた率直な意見交換があり、だれもが互いの考えや価値観を尊重する光景が広がっていました。体育の授業では、車いすや四肢障がいの人たちもロープで吊り上げられてボルダリングを体験したり、道着を来て空手をやったり一緒に走ったり。プールも車いすの生徒はリフトを使って入ります。



夜の自由時間の食堂では、チェス、デンマークの伝統的なゲーム「バギャモン」、トランプゲームで遊んだり雑談をして賑やかに過ごしました。隣りのテーブルでは数名の生徒たちが集まって、皆なで作り上げる演劇会やレクリエーションの際に、重度の知的障がいのある友達との快適なコミュニケーション手段について真剣に話し合っていました。
「インクルージョン」とは、単なる理念ではなく、日常の中で実現される具体的な行動の積み重ねから生まれるものであることを、何気ない日々の中で体感しました。色々書きましたが、とにかく毎日、皆が楽しそうにしていました。そして共に暮らすということは、ただ楽しいだけでなく、そこで生まれる人間関係や将来の悩みのリアルを共有することに、深い関係性をつむぐ糸があるかのようにも感じました。


共に生きることの美しさと難しさ
エグモントでの経験は「できること」と「できないこと」という概念を越えた、人間関係のあり方を教えてくれました。
あの場所では、障がいがある人を「支援する側」と「支援される側」、「できる人」と「できない人」に分けるのではなく、それぞれができる範囲で責任を果たし、共に生きる仕組みが国の文化や支援によって確立されていました。共に生活するための整った仕組みと設備環境のもと、生徒は学びたい時に学びたいことを学び、あらゆる選択が個人に委ねられ、尊重され、暮らしが組み立てられています。画一的で同調的、正解と完璧による優劣、秩序や規範の限られた中で、価値と居場所を探す日本の教育文化とは対照的であると感じました。
ここでのあの日々は、私の価値観に大きな影響を与えてくれたとともに「フェアな関係性」が実現する社会において、その人らしく生きられる環境や相互理解の必要性を体感させてくれました。
完璧な関係性や社会、自分自身を作ることはできなくても、その人らしく生きられる環境を少しずつ、理想に近づける努力は内外的に可能であり、大切であるという、ごく当たり前でシンプルな思考にたどり着いたようにも思います。
日本は安全と衛生が行き届いた文化的で豊かな国です。道路は舗装され、公園の蛇口を捻れば綺麗な水が出る。信号機は当たり前に整備され安全な生活が担保されています。そして四季折々の食べ物や景色を嗜む情緒があり、街並も秩序的で綺麗です。
他方、日本を含む国々では、障がい者と健常者、男性と女性、若者と高齢者といった属性間の高い壁が依然として存在し、多くの人が精神的な閉塞感を感じているのではないでしょうか。
これらの壁は、立場の弱い人々が自分らしさに蓋をしなければ生きていけない状況を生み出していることが多く、私自身もこのような社会に対して嫌悪感を覚えつつも「仕方がないこと」と受け入れてしまう場面の多さを自覚しています。しかしながら、その状況では決して真の信頼関係を築くことはできず、更に生きにくさを作り出しているのではないかと思います。
この世界は美しく希望に満ち溢れ楽しいけれど、それとは裏腹に荒々しい大波小波を感じ明け暮れ、その気持ちを言葉で正確に伝えることはできないまま、それでも心から楽しく前を向いて生きていくために不確実な自己研磨の上に立っているような、浮遊的な感覚は持続的にあるのが正直なところです。
デンマークから帰国後、私は大学に復学し卒業しました。翌年、大学院に進学し関連の実践研究を4年かけて(1年半休学)修了しました。しかしながら、一人歩きしないインクルードな社会の理想の形とは一体何なのか、結局のところ不明瞭さを抱えたまま、すっきりとしないままに、その課題から慎重に距離を置き、時間だけがいたずらに過ぎている現状です。
また遠くない将来、また探求を深めたいと思います。
この素晴らしいかな世界を、縦横無尽に自由を求めて生きる上では、どこまでいっても満足できず、やはり知恵と経験を血肉として蓄えたいと思ってしまうのです。
改めて、人生の中で今も息づいているあのセレンディピティに心から感謝をこめて。


当コラムは月に1-2回程度、ギャラリーに関連する活動を軸に執筆しています。お気楽にお読みいただけますと幸いです。
文、写真:HUG FOR_. Eriko.O
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