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COLUMN#15 - 静かな海に、種をまく-光降る場所と私に還る物語りのために
それは、静かな入り江の底に沈んでいた、小さな種のよう 海の水は冷たく、時には濁り、波がその種を遠くへさらってしまいそうになることもありました けれどその種は、じっと、そこで時を待っていた 嵐が過ぎ、潮が引き、陽の光がようやく差し込んだとき、誰にも見られず、声もあげず、それでも確かに、その種は芽を出しました 怒りも、痛みも、祈りも すべてをこの胸に抱えたまま、静かに芽吹いたこの種が、やがて波間を渡り、 失くさぬようにあなたに届くことを願って / Aoe, E.Okuyama こんにちは。早いもので間もなく五月。手帳のページには夏、秋、冬、そして来年の予定までが少しずつ埋まり始め、時の流れの速さをまざまざと感じていますが皆さま、いかがお過ごしでしょうか。 さて、先日1周年を迎えたコラムの第15稿目は、少し長くなってしまうかもしれませんが、私にとってはとても大切なご報告の回となります。 2024年の1月頃からぼんやりと構想を温め、そして1年以上の時間をかけて、ようやく輪郭が見えてきたいま、「Arts and Creative Studio...
2025年4月24日


COLUMN#13 - 生者と死者がつながる時。- 記憶と未来をつなぐ音との出会いを求めて。
亡き人を想うとき、私たちは何を受け取っているのだろうか。 ふとした瞬間、何気なく目を向けた先に、かつて親しかった人の姿や面影が幻のように感じることがある。 錯覚だと理解していても、心の中ではその人と対話しているような感覚に陥るのはなぜなのだろうか。 ここ最近は、生前に親しかった故人を思い出すことが増えた。 日常の中で、意識せずとも記憶が呼び起こされることがある。 そのきっかけの多くは、音、音楽。 例えば、カフェのスピーカーから流れてくる曲。初めて聴くはずのメロディが、記憶の中の何かと溶け合い、懐かしさを超えた特別な意味を持ちはじめることがある。 また、演奏会でふと心に触れる一曲が、故人の存在をそっと呼び戻すこともある。 その瞬間、私は静かにその訪れを察知し心の中で故人との対話を始める。 その時間は、単なる寂しさや感傷ではない。 涙が出ることはあるが、それは冷静で穏やかであり、故人がこの世にいないという現実を確かめながらも、過去に交わした会話や共に過ごした時間を再び辿っている"しるし" 。 そんな風に、知らず知らずのうちにその時間に遭遇し記憶を馳せ
2025年3月2日
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