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COLUMN#21 / Aoe Report- 始まりのストーリー。影を抱き、花を編み紡ぐ船出。

  • 執筆者の写真: HugFor
    HugFor
  • 11月4日
  • 読了時間: 16分


*本コラムでは、Aoeプロジェクトを構想するに至った経緯と、その背景にある社会構造への問題意識を記しています。個人の経験に基づく記述を含みますが、目的は過去を語ることではなく、これからの社会の在り方を共有し、共に考えるための記録です。




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コラム#21は、HUG FOR_. が取り組むプロジェクト Aoe(アオエ)の始まりと、これからの方針について綴っています。Aoe(アオエ)とは、女性アーティストやクリエイター、また理念に賛同してくださる個人や法人との関係性のなかで、アートやクリエイティブな活動を通じた収益を原資とし、困難に直面した女性の孤立を防ぐための「回路」(基盤)を照らすプロジェクトです。この活動を通した売上の一部は、生活困窮や精神的に苦しむ女性を支援する団体へとドネーションし、前にある微かな光をキャッチする環境と精神を自分自身の手で整え育むことを互いに応援し合います。


現在はプロジェクトの意義を自身の中に落とし込み、他者に対して展開しやすくするためのリサーチ期間です。コラム前半ではリサーチによる事実、観察、考察を記すと同時に、後半ではそれらに対する主観的な想いを添えて、プロジェクトの始まりを改めて公開します。普段のコラムに比べて文字量が多いため章ごとに「事実、経験、気づき、展望」の順で構成し章立てしています。お時間とご関心がありましたらお読みくださいますと幸いです。



第一章:リサーチが示した「構造的な壁」ー 制度の整備と現場の乖離

2025年10月6日(月)。HUG FOR_. が新しく取り組むプロジェクト「Aoe」のリサーチのために、神奈川県福祉子どもみらい局 共生推進本部室を訪問し、県が取り組む困窮する女性への支援について話しを伺った。


県では、DVや性暴力などにより、生命や生活の安全が脅かされた女性を守るための緊急的な避難を支援するシェルターや相談窓口の運営、支援体制の周知などさまざまなことに取り組んでいることについて、詳しく説明を受けた。しかしながら、制度として整備が進められている一方で、支援の現場には依然として深刻な構造的課題があるというのが私の解釈であり、それはこれまでの仮説的課題意識を裏付けるものとなった。そこでまず、県への訪問や、私自身の過去の経験、そして事前のリサーチ情報を総合して、性暴力やDVを受けた女性が支援を求める際に直面する主な障壁、経済、環境面のへの不安や懸念、情報からの断絶、心身に対する影響など、多岐にわたる課題について以下に整理した。



  • 生活基盤の維持が困難:

    • 命の危険を回避するための一時保護の場(シェルター)は安全確保のために外部との連絡を厳しく制限せざるを得ない。そのため仕事を継続している女性が離職・休職を余儀なくされるため、利用をためらう大きな要因となっている。


  • 情報の断絶と孤独:

    • 支援制度が複雑である上、心身が疲弊している中で必要な情報や適切な相談先を自力で見つけ出すことが極めて困難。その結果、問題をひとりで抱え込んでしまう孤立状態が常態化している。


  • 経済的な不安の深刻化:

    • 加害者による経済的な支配や、避難に伴う離職などにより、経済的な基盤を失う不安が大きく、被害から自立への一歩を踏み出すことを躊躇させる要因となっている。


  • 心身への深刻な影響:

    • PTSD、うつ病、トラウマ反応といった精神的な健康被害や、外傷、婦人科系の疾患など身体的な健康被害を長期にわたり抱える。


  • 司法の壁と二次被害:

    • 裁判等の法的手続きは、膨大な時間と経済的・精神的消耗を強いる上、望む解決が得られにくいと感じ、司法の仕組みへの不信感や二次被害につながる。




第二章:自身の経験と、二次被害としての「孤立」ー “声を上げる”ことの現実

次に、なぜAoeを始めようと考えたのか、その源泉は何か。今後活動する上で必ず問われることなので、予め経緯をここに記す。


私は、2021年冬頃にある被害に遭った。法律的にいえば不同意わいせつ罪にあたる性被害である。これまでも女性であるが故の性的な被害や心無い言葉や態度に小さな傷を負ってきたけれど、この時は当事者として、いくつも求められる選択と判断の難しさに直面した。


このような場合、一般的には通報、被害届の提出、告訴、送検、裁判、刑事処罰あるいは民事訴訟による示談。大まかにはこのような流れがあるが、これらの正当な手続きを踏むべきだと理解していても、その過程には、もっと細かい選択と分岐、精神的負担やリスク、社会的評価、日常生活や仕事への影響が重くのしかかる。そのすべてを思うと、一歩を踏み出すことは容易ではなかった。


一通りの過程と、思うように手続きを進められないジレンマ、それから日々の仕事や日常が重なり、心身の均衡を崩し、鬱状態と深い停滞と無力感の中に沈んでいった。


声を上げることは「勇気」という言葉でしばしば語られがちだが、現実には、制度の複雑さや社会的な壁による孤独、理不尽、そしてやり場のない心の重さが伴うことをご存知な人はどれだけいるだろうか。「過ぎたことは忘れる」ことが処世術のように語られるが、本当にそれで良いのだろうか。




それから二年という月日が経ち、私はギャラリーを始め、日常を取り戻していた。公私ともに忙しくも充実した日々。けれどふとした瞬間に、胸の奥に沈んでいた問いが浮かび上がった。なぜ、あの時もっと頑張れなかったのだろう。今なら、もう少し頑張れる気がする。有耶無耶になったままの出来事を、自分の納得のいく形で終わらせたい、そう思った。


出さずにいた被害届を再び提出した。警察署で再捜査が行われ、私は信頼する友人の紹介で女性の弁護士とも出会うことができた。警察も弁護士も、非のない私に誠実に寄り添ってくれた。しかし、日本の現行制度の中で「正当な手続きを通じて事実と向き合う」という、ただそれだけのことを実現するには、想像を超える時間と経済的負担、そして精神的な消耗を伴った。一般的に、性被害における慰謝料の相場は100万〜300万円ほどとされている。その金額は、被害の深刻さや失われた時間と比べ、あまりにも低く感じられた。刑罰や再犯防止の仕組みも、諸外国と比べると依然として緩やかな日本の制度にも大きな不信感を覚えた。


しかし私が求めていたのは、金銭的な補償ではない。ただ、正しい手続きを踏み、事実と向き合うという当たり前の行為だった。それにもかかわらず、それすらもままならない現実に、私は再び強い違和感を抱いた。同時に女性に囲まれて写真に写っている加害者をSNSで目にすると、心の底から湧きでる嫌悪感と軽蔑心。繰り返すが、私が求めていたのはお金ではなく、ただ正当な手続きを踏み、事実と向き合いたい、ただそれだけだった。


私は決して、情報を収集する力や問題を整理し打開策を探る力に欠けているとは思っていない。それでもなお、このような事態の当事者になると、最適な情報にも、適切な支援先にも、納得できる解決策にも辿り着くことができなかった。


当時は苛立ちと焦りだけが先行していたが、今ならわかる。

それは単なる偶然ではなく、明らかに「構造としてたどり着けない仕組み」や「二次被害やさまざまなリスクを鑑みた制度がないこと」を意味していた。支援制度は表向きには整備されていても、当事者がアクセスできなければ、あるいは解決への糸口にならなければ事実上「存在しない」のと同義だ。


支援の窓口はあれど道筋はつながらない。

制度はあっても実装されていない。

情報はあるのに必要な人に必要な情報が届かない。


この断絶は、個人の努力不足や「声の上げ方の問題」として片付けられるべきものではなく、社会の側が最も支援を必要とする人を取りこぼす構造的な不備を内包しているのではないだろうか。同じような経験をしているのは決して私だけではなく、この国には、静かに立ち尽くしている人が、数えきれないほどいること想像ができるだろう。


そして何より辛辣に感じたのは、社会に突き放された感覚だ。


自分は悪くないのに、ただ正しいことをしたいだけなのに、当たり前の日常の中にある孤立と八方ふさがりの中に置かれているという現実だった。強い意志と行動力をもっていても何をするにもいちいち壁が立ちはだかる。時間と労力ばかりが消費され、精神的に追い詰められ疲弊していく。こうした経験こそが、私にとっての二次被害であった。挙句には、「私自身の環境を変えたほうがいい、引っ越した方がいい、仕事をセーブした方がいい」などと、こちらにさらなる負担を強いる上辺だけの言葉を投げる無理解の人間もいた。


私は問わずにはいられなかった。

なぜ私が逃げなければならないのか。なぜ好きで住んでいる町を離れなければならないのか。

なぜ好きで続けてきた仕事への影響を受けなければならないのか。その責任を誰が取ってくれるのか。

その問いに、答えられる人はいなかった。


どこまでも他人事の人々や、謝罪もなく何も変わらない日常を送る加害者がいる一方で、自分だけが不安定な場所に取り残されていく。その不均衡に、悲しみという感情はとうに過ぎ去り、底知れないむかつきや怒り、屈したくないという、強い感情がいつも心に渦巻いていた。


結局、また私は具体的に何もできなかった。すでにギャラリーを運営していたため、この問題に取り組むことが、活動や事業にどのような影響を及ぼすかという現実的な懸念やリスク、ギャラリーを成長させるためにもっとすべきことが他にあるのではないかという葛藤もあり、もう二度と蒸し返さないように、開けられないように気持ちに蓋をした。それが最も正しい最適な選択であると言い聞かせ、すべてを海に沈め溶かした。周囲からもそれが良いと諭された。残ったのは、いつも通りの生活と、こみあげてくる「また自分のことを自分で処理しきれなかった未熟な自分」を突きつけられたことへの不甲斐なさだった。



第三章:失望から:「Aoe」を構想するに至った3つの気づき

更に1年の月日が流れ今に至る。

改めてこれらの経験を冷静に振り返ると、私が、女性が今の社会で生きるために大切なこととして3つのことが浮かびあがった。一つは「情報や支援へのアクセスは生存と尊厳に直結する」という事実。必要な知識を持たず、つながるべき相談先を知らなければ、人は簡単に孤立し、追い詰められてしまうということ。二つ目は、法律や社会制度そのものという大きく根深い問題があるということ。三つ目は、思いがけないことが自分に降りかかった時のために備える知識と教養、経済力、そして何よりも私は悪くないと思える人や場所の存在の重要性だ。それは自分を守ると同時に、いつか同じように苦しみ途方に暮れている誰かを支えるための回路にもなりうるという可能性も示唆していた。


こうして一見、Aoeを構想することで茫々としたイメージに光が宿り始めたが、逆に再び涙を流す日や、卒倒してしまう日が増えた。


不甲斐ない日々を思い出す時間が増えたからだ。

頑張り切れなかった自分を責める日が続いたからだ。

日常を過ごしていても、何をしていても、海に沈めたはずの黒い塊の感情は、まだ心の真ん中に沈殿したまま日々を生きていたことが明らかになった。


それでも無邪気に表面的な楽しいことだけを見つめて好きな人たちと笑い合っている環境や場に身を置くことは、とても空疎で苦痛に感じたし、何よりも自分らしさを喪失している気がしてどこか白けた気持ちになることもあった。


自分の外側にある社会や世の中のことに関与しない、知ろうとしない、見ようとしない、考えようとしないということは、自分の内側を知らない、見ていない、思考停止であることと同じ。それがとても怖いことだと思うと気持ちは後ろを向くことはなく、涙を流しながらも見えない道を手探りで、ゆっくりでも前へ進んでいくことを選んでいた。深く湛えた闇の中で、私は自らの意志の灯を見つけた気がした。


そう、私はただ笑うために、ただ目の前の虚構の幸せを感じるためだけに生きていたいわけではないのだと思った。


忘れ去ることも、なかったことにすることもできないならば、悲しみも痛みも怒りも全身にまとった上で、この先も長く続く人生を愛していくために、何度も何度も、本当に何度も何度も自分が納得できる方法を一人で考えて考えて考えた。もうこれ以上は考えれないという程、向き合った。


そうした途方も暮れるような自分とのやり取りを繰り返し、私が私の可能性を失わずにいられる方法で、誰かや社会を憎み続けなくても良い方法で、同じような境遇に現在進行形でいる人や、いつ当事者になるかも分からない、世界中の女性に向けて今の私にできる唯一のことが、Aoeという取り組みだった。私は、自分で然るべき手続きを踏むことができず悲しい後悔があるけれど、でも私のそばにはアートが持つ表現や、人の感情と響き合う力があった。それは個人的な痛みを言葉を介さずに昇華させ、同時に精神的な側面も経済的な面も活動の核となる、明るく前向きな手段だと私は信じている。


それでも今日、この日まで、恥も外聞もなく背景をさらけ出すことには大きな躊躇いがあり、誰かに構想を話すときも何となくそれらしい言葉で取り繕い、大事な部分を隠して伝えていたように思う。うまく言語化できずにいたといった方が正しいかもしれない。Aoeとしての活動を具体的にスタートさせるまでにも、一年以上の時間を要していた。自分の内面の脆弱さや未整理の感情を、社会的な活動に重ねることへの恐れ、事業やギャラリーへの影響への懸念、そうした慎重さが、動き出す前の静かな時間を長引かせたのだ。


すべては私の弱さにある。

でも今ここに十分すぎるくらいに素直な気持ちを記した一つ進めたような気がする。

私は過去の話しをするつもりはなく、矢印を自分に向けているわけでもなく、あくまでも今とこれからの社会とそこにいる人間の話をしていきたいということをここで改めて伝えたい。


以上が、Aoeを始めたきっかけである。




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第四章:Aoeが目指す「持続可能な回路」

Aoeは、善意や理想、夢や正義から生まれた構想ではない。軽やかで眩しい存在でもない。根底には、個人的で不均衡で、むき出しの感情が眠っている。この思考の経緯を、理解できる人もいれば、理解できない人もいるだろう。想像できる人もいれば、想像できず目を伏せる人もいるだろう。暗い、鬱陶しい、偽善的だと感じる人もいるかもしれない。


それでも私は、自分から生まれた起点を恥じる必要もなく大切に守り育てたいと思う。なぜなら人が困難の中から立ち上がるときは大抵、その動力は必ずしも清潔な言葉の中にあるとは限らないと思うからだ。むしろ、痛みに触れた人間だけが持ち得る洞察と、切実な衝動こそが、社会の小さな前進を生み出すのではないだろうか。


前述したように、「いざというときのための知識と教養」は、自分を守る備えであり、盾である。そして同時に、それは他者を支えるための回路にもなり得る。私は、相手を打ち砕くために戦いに出る武器をもつのではなく、ただ静かに強く、賢く、美しく、自分の在るべき姿をひたすらにイメージすることで意思を示したい。


Aoeは、そのための回路を分かち合う場所でありたい。まだ輪郭は淡いままだが、進むべき方向が以下5つの要素が確かに見えてきた。



◇5つの要素(発信、企業連携、体験共有、アドボカシー、啓発)


Aoeとして、今あるリソースや強みを生かせる取り組み

  1. 備えとなる情報を正しく伝えるプラットフォーム:発信

  2. 経済的支援へのコミット:企業連携

  3. 孤立を感じず根底でつながりを感じることができる体験の提供:体験の共有


Aoeとしてチャレンジや専門性を必要とする取り組み

  1. 司法・制度の「声」を集約する:アドボカシー / 提言活動

  2. 啓発、教育



これらはAoeが目指す「社会全体で女性を支える基盤」を築くための多角的なアプローチであるが、Aoeとして強みを生かせる3つの取り組みは、当事者である女性の「生と尊厳」を守るために、優先度が高く適切であると考えている。


現時点で結実できることとして、Aoeは、アート・クリエイティブの力を収益源としながら、「お金」「知識」「つながり」の3軸で、困難に直面した女性が自力で立ち上がり、未来を切り開くための「持続可能な回路」を目指していくプロジェクトとして成立させます。



最後に:世の女性たちへ

今、私はすべての女性に、以下3つの確信を共有したい。困難に直面したとき、決して孤独に陥らないための連帯のメッセージと、具体的行動のための「備え」について、改めて心に留めてほしいと思います。


1. 自分を責めないで:私たちは悪くない

もし今、あなたが不当な被害や心を傷つけられたなら、「自分が思うように行動できない」「正しい手続きが踏めない」と苦しんでいるのなら、決して自分を責めないでください。

起きたことそのものも悲しいことですが、それ以上にあなたを苦しめたのは、手続きが踏めない、踏みにくい環境の中で、それができない自分自身を責めてしまったことであるとするならば、あなたの感じた困難は、決してあなたの能力や努力不足によるものではありません。そこには、制度の複雑さ、経済的なリスク、社会的評価、そして何よりも、個人の意志を阻む「構造的な壁」が存在しています。あなたの感じた苦しみは、「構造として支援にたどり着けない社会の不備」が引き起こした二次被害であると私は考えます。


あなたの存在と尊厳は、何よりも価値があり、その事実を決して手放さないでください。



2. 予備知識は「自分を守る備えであり、盾である」

「いざというときのための知識と教養」を持つこと。これは、あなた自身の生存と尊厳を守るための確かな「備えであり、盾」になる。予備知識を持つことは、緊急時に思考の停滞を防ぎ、八方ふさがりの状況で道筋を見つけるための羅針盤となります。


万が一、問題に直面したときのために以下の知識を頭の片隅に置いておくことが、あなた自身と大切な人を守ります。



3. 私たちは「回路」でつながる

私たち人間は、個人的な痛みを力に変え、それを分かち合うことで、お互いを支える「回路」を築くことができます。この回路は、あなたを守る備えであると同時に、あなたと同じように静かに立ち尽くしている誰かを支える力にもなり得ます。


私は困難な経験を力に変え、強く、賢く、美しくありたいと願います。



以上



当コラムは月に1-2回程度、ギャラリーに関連する活動を軸に執筆しています。お気楽にお読みいただけますと幸いです。

文、写真:HUG FOR_. Eriko.O



Eriko OKUYAMA

HUG FOR_. オーナー


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大学卒業後、民間企業や外郭団体での勤務を経て、2016年からアート業界に転身。主に銀座、六本木、白金台、天王洲など都内の現代アートギャラリーにて展覧会の企画運営マネジメント、プロジェクトマネジメント、アーティストマネジメント、パブリックスペースのアートコーディネーションに従事。ライフワークとしては、芸術の社会的な役割を模索しながら障がいのあるアーティストの展示企画や実践研究に取り組んできました。鎌倉に移住後、地域交流や豊かな自然によって心身と暮らしが満たされていく実感と共に、改めて芸術の在り方そのものを再解釈し、自身とアーティストの自己実現へのチャレンジ、そして人々が真の幸福に向かう思考と体験を共有する場を創りたいという想いのもと、2022年12月にHUG FOR _ . を開業しました。

ギャラリーとして作品を販売し、運営を持続させていくことと、芸術が社会や人に対してどのように貢献し循環させることができるか、事業性と社会性の両輪の視点をもって活動をし続けています。ギャラリーやアートは、暮らしや私たちの内面にとても近い存在であると考えています。難しく考えずにお気軽に足をお運びください。​

・筑波大学大学院 博士前期課程 人間総合科学研究科芸術支援領域 修了

・修士論文「共生社会の実現に向けたアートを通した交流活動」筑波大学茗渓会賞 受賞

​・HUG FOR_. ホームページにて月に一度のコラムを連載


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