Prologue
HUG FOR_. が鎌倉でスタートを切ったのが2022年12月4日。早いもので1年と8カ月が過ぎました。縁もゆかりも薄い土地でのチャレンジは、鎌倉がもつ刻まれた歴史、新と旧が共存する文化、豊かな自然、季節と共に過ごす時間、魅力溢れる人々と、挙げ切れないくらい多くの恩恵を授かり、そして関わってきたすべてのアーティスト、地元や都内、全国各地から訪れる方々との展覧会の度に生まれる一期一会の出会いのおかげで、一歩一歩、一段一段、土壌を築き成長を遂げることができています。いつでもその感謝の気持ちを胸に本日もコラムを書き綴らせていただきたいと思います。
こんにちは。
突然ですが
イタリア発祥の子供のための教育方針、レッジョ・エミリア教育をご存知でしょうか。
小さなお子様がいらしたり、教育関係のお仕事をされていたり、あるいはヨーロッパにご縁がある方以外は疑問符がつくかもしれません。
日本国内では決して多くはありませんが、少しずつ国内で広がりを見せており、この度HUG FOR_.でもレッジョ・エミリア教育を実践されている方とのご縁をいただいて、アーティストと共に学ばせていただきながら関わらせてもらっています。
そこで今回のコラム#8では、優れた国際的ロールモデルとなってる幼児教育方針であり、アートとも密接に関係するレッジョ・エミリア教育とギャラリーの思想、その背景を含めて綴りました。
少しでもご興味をもっていただけたら嬉しいです。
レッジョ・エミリアの成り立ち
レッジョ・エミリアとは、イタリア北部にある小さな町の名前。
第2次世界大戦後、社会の抑制や圧力から解放された人々が新たな社会を創造し始めた時代。性別や職業など関係なく、市民とイタリア女性連合が協力しながら、街に幼児学校が創られたそうです。
その学校では、親だけでなく市民も一体となって愛と力を注ぎ、子どもたちの創造力や表現力を伸ばすための「見て、考え、想像し、表現する」ことをモットーとしたレッジョ・エミリア教育がなされてゆきました。
その子どもの主体性、協同性、自律性、豊かな創造力を育みやすくするための教育は、造形美術の専門教師「アトリエリスタ」と共に活動するプログラムや教育学専門家「ペダゴジスタ」が配置されるなどの環境の中で教育思想を体現していることが大きな特長です。(詳細を知りたい方は、参考図書や事例などがたくさんあるので調べてみてください)
以下は、レッジョ・エミリア 創設者 ローリス・マラグッツィの詩、「100の言葉」
100の言葉
子どもには 百とおりある。
子どもには 百のことば
百の手
百の考え
百の考え方
遊び方や話し方
百いつでも百の聞き方
驚き方
愛し方
歌ったり理解するのに
百の喜び発見するのに
百の世界発明するのに
百の世界夢見るのに
百の世界がある子どもには
百のことばがある…
それからもっともっともっと…
けれど九十九は奪われる
学校や文化が
頭とからだを
ばらばらにする
そして子どもに言う
手を使わずに考えなさい
頭を使わずにやりなさい
話さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい
愛したり驚いたりは
復活祭とクリスマスだけ
そして子どもに言う
目の前にある世界を発見しなさい
そして百のうち
九十九を奪ってしまう
そして子どもに言う
遊びと仕事
現実と空想
科学と想像
空と大地
道理と夢は一緒にはならないものだと
つまり百なんかないと言う
子どもはいう
でも 百はある
この詩は、子どもが持つ無限の可能性と、子どもを始め誰もがさまざまな価値観や個性があるということを詠んでいます。
かつて大学院生の頃、芸術と社会、芸術と人間という文脈からインクルーシブ教育という、地域社会の中で誰一人取りこぼすことなく、属性や個性、価値観が異なる子どもが同じ環境下で学び成長するための教育に、アートがどのようにコミットできるか実践と研究を通して検討していました。
例えば下の2枚の写真は、2020年に千葉県のある地域に住む知的障がい、四肢障がい、身体障がいのある子と普通学級に通う障がいのない小学生約10名が3日間、同じ空間、同じ道具、同じ作り方の造形物を工作し、その作品を市内の商業施設内に展示するというワークショップを開催した時の記録の一部です。
映っているカラフルな造形物は、フィンランドの工芸品「ヒンメリ」を応用してストローで工作し、この時は夏だったので小さな鈴をつけた「ヒンメリ風鈴」を作りました。
※ヒンメリ:フィンランドの工芸品で人々の豊作や幸福を願うための祈りの装飾品。
たくさんのヒンメリ風鈴は、地域の駅前にある商業施設の屋上に約1か月間展示し、街の人たちの笑顔と、夏の風を感じられる可愛いトンネルが出来上がりました。
同じ地域に住みながらも、彼ら特別支援学級と普通学級の子供たちには日常的に接点がありません。
なぜでしょうか。
その方が多くの人は幸せなのでしょうか。
私はそうは思いませんでした。
そこで、分断された教育環境から地域のインクルーシブな環境を体験することで、子どもたちにどのような行動変化や心理変容が見られるか、市内の教育委員会、商業施設、市民に協力を仰ぎ分析考察することを目的として取り組み、私と同じように違和感を覚えインクルーシブ教育やインクルーシブ社会の実現を実践する人たちのための資料を作る研究をすることにしました。
(インクルーシブ社会、インクルーシブ教育についてはまた別の機会に)
周囲には教育領域へアプローチする同級生や先輩が多く、冒頭でご紹介したレッジョ・エミリア教育を始めシュタイナー教育、モンテッソーリ教育を専門にしている方もいて、その教育哲学や研究概要、課題を聞いていました。
これら世界的な教育哲学に共通するのはアートなのでした。
Where am i?
現代においてどの角度と理念で芸術と関わるか選択肢は多様で自由です。
一体どの立ち位置で、どこに力点を置いて関わっていくかは重要で、その軸は盤石でないと簡単に流されます。
現実と理想…
ビジネスと社会性…
安定と変化…
継続性を求められる事業として取り組むとなると、正直いつも何かと何かの狭間で逡巡しているわけです。
ただそんな時に頼りになるのは、学生時代の学びや経験と体験。
あの実践研究は確かに意義を感じ、多くの方から共感を得た取り組みでした。
また修了式典で学長が話された「我が校の卒業生は、自分の幸福を越えて社会や他人の幸福のために生きることができる人材である」という心に響いた言葉。
今回、レッジョ・エミリア教育を実践されている方とギャラリーを通じてご縁がつながったことは、どうしようもないくらいに嬉しいことでした。
実践としては、美術館や行政機関ではなく民間の小さなコマーシャルギャラリーだからこそ、草の根的にできることがあると思っています。
例えば
パーティシペーション(参加型)
コミュニティ(コミュニティ)
コラボレーション(協働)
ダイアローグ(対話型)
ディスカッション(討論)
エデュケーション(教育型) など
多様な手法を使って小さくも手ごたえを感じられる取り組みを、アーティストが一つ一つ創造した作品や展覧会を通して、時にはギャラリーを飛び出して地域の子どもたちの健全な成長、すべての人が求めている豊かさの本質にコミットできる活動をゆるやかに広げていきたいと思います。
そしてあくまでもこれから関わるアーティストには、自己探求や自己表現に加えて現代社会の在りようを視野にいれながら、人、コミュニティ、対話、人と人のリアルなつながりと重要性を実感する。
それらを踏まえた上で、今とこれからの社会に活かせることをピックし、我々に提示し語り合うことで更なる豊かさの循環が構築されることを期待しています。
芸術が本当に必要な人や必要な場所に届き、一人ひとりの人生が今よりも少しでも豊かなものとなりますよう。
その方法をこれからもギャラリーとしても個人としても探求し模索していくこととなりそうです。
何だか少々熱めのコラムとなり自分でも驚いていますが、長々とお読みいただきありがとうございました。
ギャラリーはもうすぐ丸2年を迎えます。引き続きのチャレンジを見守りいただけると幸いです。
当コラムは月に1-2回程度、ギャラリーに関連する活動を軸に執筆しています。お気楽にお読みいただけますと幸いです。
文、写真:HUG FOR_. Eriko.O
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