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COLUMN#17 - Art in Life and Society -遠くて近い、美の形と安寧。

  • 執筆者の写真: HugFor
    HugFor
  • 6月14日
  • 読了時間: 8分

更新日:6月16日


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こんにちは。

紫陽花が美しく咲き誇り、梅雨空が静かに街を包む季節となりました。日々の湿り気の中に、季節の移ろいを感じる今日この頃。皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

さて今回のコラムでは、前回取り上げたフォークアートに続き、ファインアートについて綴る予定でしたが、現在開催中の庄島歩音さんの展覧会「あける」や、次回の展示「ふれること、のこるもの。」にまつわるやりとりの中で、多くの方が関心を寄せてくださったテーマがありました。

それは、「生活の中にある芸術」という視点です。

HUG FOR_.が大切にしているのも「社会と暮らし、両方に寄り添うアートのあり方」。そこで今回は、ファインアートの定義や制度的側面から少し離れて、「日々の暮らしと社会の中で、アートがどのように息づいているか」を考えてみたいと思います。これはギャラリーとして探求し続けているテーマでもあり、今回はその序章として綴ってみます。よろしければお付き合いください。

さて、そもそもアートとは本来どのようなものだったのでしょうか。皆さまにとってアートとはどんな存在でしょうか。

かつて日本では、絵や文様はもっと生活に寄り添うものでした。屏風や襖、扇子に描かれた絵。陶器や漆器、着物にあしらわれた意匠。それらは暮らしの中で「使う」ものであり、大切な人への「贈り物」としても親しまれていたのではないでしょうか。

そうした日用品としての美術品は、時代を経る中で徐々に美的、文化的価値が高まり、「鑑賞されるもの」や「収集されるもの」としての側面が強まっていきました。もともと美術品は、誰にとっても決して遠い存在ではなく、暮らしの中に自然に息づいていたのだと思います。それが今ではアートというカテゴリに分類され「一部の限られた場でしか触れられないもの」「特別な空間に置かれるもの」としての性格が強くなっていったように感じます。

美術館で静かに鑑賞される作品。グローバル化が進んだ現在では、国内外のアートフェアで数百万円、時には数千万円で取引される現代アートも珍しくありません。もちろん、そうしたあり方を否定するつもりはありません。ただ、市井の人々にとってアートがどこか「遠いもの」と感じられるようになった隣りで、確かに社会や暮らしを彩ってきたことに関しても関心を寄せています。


明治時代以降、日本の美術は西洋の制度に組み込まれる形で大きく変化していきました。絵は額装され、美術館で鑑賞され、「アートは特別なもの」として教育に組み込まれていきました。かつて庶民が浮世絵を買い求め、屏風絵を楽しみ、扇子に季節の意匠を映していたような文化は、やがて「民藝」として振り返られる対象へと変わっていきます。

戦後の経済成長とともに、アートは投資や資産としての意味合いを強めました。美術館やギャラリーの大規模化、市場の整備、そして「評価されやすい作風」や「価格がつきやすい形式」といった市場の論理に少なからず影響を受けながらアーティストは制作を続けていくようになります。

現代においてアートは、鑑賞され、所有され、ときに資産として取引される存在となっているのもまた事実です。もちろんそれが悪いわけではありません。アーティストが生計を立てていく上でマーケットに参加することは不可欠であり、現代アートが正当に評価されることもまたとても重要なことです。

他方で、アートに触れることや作品を買うという行為が、誰にとっても当たり前ではなくなり、さまざまな意味で難しいものになっていると側面がなかなか拭えずにいる現実には、少し寂しさを覚えることがあるというのが、これまで社会にアートが寄与することに関心と学びをおこなってきた私の正直な気持ちです。


社会と共に在るアート

2011年3月11日に起きた東日本大震災以降、人々の価値観や認識の変容とともにアートの役割もまた大きく変化しました。それは社会や個人に対して多面的な影響をもたらし、私もこの時期を境に、社会と自身の関係性や、アートの可能性を自分ごととして探りはじめました。その転換期に過ごした時間と経験は、私のライフワークや価値観を形づくり、HUG FOR_. における哲学としても滲み出ているように思います。


あの震災のあと、アートが果たしてきた役割を思い起こすとき、いくつもの光のような営みが浮かび上がってきます。

例えば、アートは「記憶をとどめる」という力を持っています。写真や絵画、詩やパフォーマンスなどを通して、あの日何が起こったのか、誰がどんな思いで過ごしていたのか。言葉にならない感情や、失われた風景が、表現を介して今日まで語り継がれています。陸前高田の「奇跡の一本松」や、石巻で行われたアートプロジェクトなどはその象徴的な例であり、都内各地でも、震災の記録写真や作品に触れることで記憶をたぐる催しが続いています。

また、アートは心の回復においても大切な役割を担ってきました。喪失感や悲しみを言葉にできずにいる人たちにとって、描くこと、作ること、誰かと何かを分かち合うことが、自分を取り戻すきっかけとなることがあります。被災地の学校や避難所、仮設住宅では、アートセラピーやワークショップが行われ、暮らしのささやかな彩りとして、花を生けることや紙を折ることさえも、癒しへとつながる大切な行為となっていました。

HUG FOR_.で続けている対話型鑑賞会も、そうした営みと深く響き合っています。パンデミックや戦争、経済格差などが浮き彫りにした現代の痛みに対して、アートは人と人をつなぐ静かな橋のように、心の奥に潜む感情へ語りかける時間を生んでくれます。

また震災によって分断された人々の間にも、アートを通じた再会や再構築の機会がありました。アーティストと共に作品を創ること、人々が場を共有すること。それは単に創作の場であるだけでなく、人と人との絆を編み直す小さな試みでもありました。石巻を舞台にした「Reborn-Art Festival」では、地域の人々とアーティストが協働し、日常の中にアートを取り戻すような活動が広がっていきました。その中には、障がいの有無や属性を越えて関わり合えるインクルーシブ社会の可能性を探る希望も見えてきたと言えます。

そしてもうひとつ、アートが持つ「問いを立てる力」。

震災後に噴出した政治や原発、メディアの問題に対して、表現者たちはときに鋭く、ときに静かに、私たちの社会を見つめ直す問いを投げかけました。例えば印象的な作品として、Chim↑Pomが岡本太郎の壁画「明日の神話」に原発事故を描いた絵を加えたように、アートは言葉以上に強く、社会に衝撃を与えるメッセージとなることがあります。

このようにアートは単なる「美術」や「娯楽」の枠を超え、人々の心の回復、地域の再生、社会への問いかけなど、多層的な役割を確かに果たし、今も少しずつ形を変えながら展開されています。

アートは「災害をどう生き延びるか」だけでなく、「どう意味づけるか」「どう未来に引き継ぐか」を支える重要な手段として今も機能し続けているのです。こうして社会という開かれた大きな枠組みに目を向けたとき、あるいは個人という閉ざされた小さな世界を見つめたき、そのどちらの真ん中に、私もあなたも確かにいることに気づきます。


暮らしと共に在るアート

自身の安寧。

このために日々、汗を流して傷を負いながらいそいそと時間に追われて生きている人が多いと思います。

私は、アートとは「自分や誰かの呼吸にそっと寄り添うもの」だと思っています。日々の暮らしの中で、ふと目にとまる形や色が、静かに心の奥へと触れてくる。気づかなかった感情がそっと顔を出し、言葉にならない思いが伝わってくる。

それは必ずしも大きな絵や彫刻ではなく、小さな器だったり、手のひらに乗る小さな造形物だったり、窓から差し込む柔らかな光や影かもしれません。そんなささやかな存在が、暮らしの片隅で静かに呼吸し、いつのまにか心の安らぎになる。

アートは、私たちの毎日の暮らしに寄り添い、見過ごしてしまいそうな大切な瞬間を拾いあげる小さな灯りのようなもの。そんなか細くも確かに側にある光が、いつもいつでも、少しだけ心を軽くしてくれると思うのです。



HUG FOR_.では、こうした「社会と生活に寄り添うアートや体験」との出会いを大切にしています。

アーティストが時間をかけて形にした試みや、感情の記録のような作品は量産品ではなく、アーティストの手から私たちの手へ、そして誰かの暮らしへと、丁寧に受け継がれていく唯一無二のものです。

無数のギャラリーやECサイトが存在する今、アートを届ける方法はいくらでもあります。それでもなお、HUG FOR_.がここ鎌倉という場所でさまざまなリスクを抱えながらも場を開き続けている理由のひとつには、アーティストの背景や葛藤に耳を傾け、その制作の文脈を丁寧に伝えていきたいという思いがあるからです。

「美しいから欲しい」という感覚にとどまらず、「この考えに共感した」「今の自分に必要な何かを感じた」という、より深いレベルで作品と向き合う体験が、少し騒がしく複雑になりすぎたこの社会の中で、子供であれ、大人であれ、一人ひとりの長い人生において、精神的な豊かさを育むきっかけになればと願っています。

そして同時に、アートという価値も存在も時代と共に変容する存在が持つ、未知の可能性を私自身の知的好奇心として、これからも探求していきたいのです。

HUG FOR_.は、ただ作品を展示し、販売するだけの場所ではありません。共鳴から生まれる小さな循環を、丁寧に紡いでいこうとする場です。

アートは誰にとっても寄り添い、心を揺らすもの。そのことを、これからも静かに行動として、必要な時は言葉を添えて伝えていきたいと思います。

そして願わくば、作品とともに「時を刻む」という体験が、ここから少しずつ広がりご自身の人生と、それを取り囲む社会を彩り豊かなものへと導いてくれますように。

明日も、ギャラリーでお待ちしております。



当コラムは月に1-2回程度、ギャラリーに関連する活動を軸に執筆しています。お気楽にお読みいただけますと幸いです。

文、写真:HUG FOR_. Eriko.O


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